ヤッピーの記録


4.ヤッピーの爪

ボクの右足の
お爪は2本だけ
なんです

  ボクにはお爪がないのさ





ヤッピーの右足は、爪が2本足りない。
中指はヒナの時、小鳥屋さんで保温電球のカバーに引っ掛けて失ってしまった。ひょっとして、痕跡が残っていて、ある日突然生えてきやしないかと、はかない希望を抱いたが、残念ながらダメだった。

そして、問題は後ろの指。こちらは事故により無くしてしまった。

これは、ヤッピーに降りかかった最初の災難の記録である。



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爪を折る


それは、ヤッピーがまだ“へなちょこ”と呼ばれていた、2004年の大晦日のこと。ヤッピー、1歳10カ月。当時は、桜文鳥のバジルとヤッピーの2羽がおり、バジルは闘病中で明日をも知れぬ命だった。バジルは割に愛想のいい子で、実家の家族にもよくなついていた。病鳥を連れての帰省には迷いもあったが、もう助からないと覚悟を決めていたこともあり、最後に会わせてあげるのも良いだろうと、2羽の文鳥と共に実家で過ごしていた。

バジルは家族の顔を見て大喜びだったが、何分にも病気の身、体力も相当に消耗していたから、夜は早々に寝かしつけてやった。
一方のへなちょこヤッピーは、バジルが皆からちやほやされているのを見て、どうしても自分もカゴから出たいと言い張って聞かなかった。

その年の秋から暮れにかけては殺人的な忙しさで、文鳥たちには随分我慢をさせてしまった。そんなさ中、待ちわびていた休暇だ。ヤッピーにも好きにさせてやらなきゃ可哀想だよね…と、若干の不安を感じつつもケージの扉を開けてやった。


その頃のヤッピーは、とても手乗りとはいえない状態で、バジルと一緒でなければ人間のそばに来ることもなかったし、ケージに帰ることもなかった。

初めは上機嫌で遊びまわっていたヤッピーであったが、はたと気付くとバジルはいなくなって、慣れない場所に1羽取り残されている。それに気付いた途端、パニックになったようで、興奮して部屋の上空をひたすらに飛び回った。

来やすい場所にケージを置いて自分で戻れるようにしてやったが、怖がって下りて来られない。最終的には、部屋の明かりを消して捕まえるしかなかったが、“紅白歌合戦”を楽しんでいる家族の手前、電気を消すわけにもいかず、番組が終わるのを待つことにした。



そして、番組が終わったそのとき、事故は起こった。飼い主がトイレに立った、わずか1、2分の間の出来事である。何があったのか?

部屋に戻ったとき、明らかにヤッピーの様子がおかしかった。

「ヤッピーちゃん、どーしたの?」
と声をかけてもけたたましく「ピッピ、ピッピ」鳴き叫ぶばかりで訳が分からない。

「どーしたの?」
と、ようやくそばに来たヤッピーをよくよく見てみると、あろう事か、右足の後ろの指の爪があさっての方向を向いているではないか!

「どーしてさ?」
と問いかけるも、ヤッピーはパニックに陥っている。
とにかく、捕まえないことにはどうにもならないので、消灯して捕獲した。

・・・で、どうする?


爪は皮1枚でつながっている状態で、血が滴り落ちていた。

困った。

その頃は、実家の周辺でまともな獣医さんにお目にかかったことがなかった。ましてや、日付変わって1月1日の午前零時をまわったところ。

絶望的だ。

相当痛かったのだろう、ヤッピーはケージに戻しても暴れまわり、ブランブランになった爪が気になるのか、しきりにくちばしで触っている。
「ダメだよ、じっとおとなしくしてなきゃ。本当に爪が落ちちゃうんだから…」
と言っても、本人に理解できようはずもなく。

迷った末、弟に保定してもらい、消毒してから短く切った楊枝を添え木にして絆創膏を巻いてやった。
本当は、この時点で爪を取ってしまえば良かったのかもしれない。しかし、そんな勇気もなかったし、何とか爪が繋がって欲しいと一縷の望みを抱いていた。

文鳥の大きさからすれば出血量も相当であったから、「ヤッピーちゃん、死なないよね、死なないよね…」と動揺を隠せない。

暗くしてやらなければ、ヤッピーのパニックも治まりそうになかったから、そのままカバーを掛けて寝かせてやったが、朝になって死んでるんじゃないかと心配だった。



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初めての病院


2005年1月4日、実家から戻ったその足で動物病院へ行った。バジルがお世話になっていた病院で、一応、看板には“鳥”もある。しかし、実態は殆ど犬猫病院だ。
院長が“わんこ先生”(イヌ担当)、もう一人の若い獣医さんが“にゃんこ先生”(ネコ担当)と呼ばれていた。バジルを診てくださっていたのは“わんこ先生”であるが、その日はお休みのため“にゃんこ先生”に診ていただいた。飼い主もそのときが“にゃんこ先生”との初顔合わせだった(その後、この先生にはウサギが何度もお世話になった)。


「バジルちゃんから診ましょうか」と言われて、バジルのカゴを診察台に上げると、
「これは…随分貧血がひどいですね…。」と先生。
バジルは元々血色の悪い子であったが、この頃にはくちばしもアイリングもさらに色が薄くなっていた。

「あの、この子、初めからこんなに白かったですか? 最近、急に白くなったりとかしてませんか?」
と聞かれた。(バジルは白毛の多い桜文鳥)

「いえ、徐々に徐々にって感じでしたが…?」
「文鳥は内臓とかに疾患があると急に白くなるっていう話もありますから…。」(謎)
にゃんこ先生は真顔でそんな事をおっしゃる。


それなりに診ていただいて、次はヤッピー。
先生はヤッピーを見るなり、

「こりゃまた随分と血色がいいですね! やっぱり文鳥はこうでなくっちゃ!!」

とおっしゃった。飼い主以外の人でヤッピーをほめたのは、小鳥屋のおじさんを除いてはこの先生が初めてである。「かわいくない」と言われてばかりの子だったから、お世辞でも何でも嬉しかった。


「添え木なんかして、かえって悪かったみたいなんですけど…」
(そのとき、すでに添え木も絆創膏も無意味な状態になっていた)と言うと、
「いや、これができ得る最善でしょう」と先生は言ってくださった。

ヤッピーを出そうとカゴに手を入れると、それだけでもう大暴れ。何とか捕まえて状態を見ていただいた。

「すみませんが、このまま持って待っていていただけますか?」
先生はそう言い残し、「軍手、軍手…」とつぶやきながら奥へ消えていった。


“何故に文鳥の治療をするのに軍手がいるのか?”頭の中がハテナマークで一杯になった(後で分かった事だが、噛まれる事を妙に怖がる獣医さんだった)。

先生はなかなか戻ってこない。ヤッピーはいつまでもおとなしく握られていてはくれなかった。

初めての病院、初めての獣医さん、知らない人に触られるのも初めて。

「何をされるの? ヤダ、ヤダ、イヤだぁ〜」

とばかりに渾身の力をふりしぼって、ヤッピーは手から逃れ、飛び立ってしまった。またもや、「ピッピ、ピッピ」激しく鳴きながら診察室の中をグルグルと飛び回った。何とか捕まえようと試みるも、素手ではとても無理で、なすすべもなく呆然と眺めているしかなかった。


ようやく、先生は止血剤とお道具一式を持って戻って来た(幸い、軍手はなかったらしい)が、ドアを開けるなり状況を察してくださった。

「すみません、逃げちゃいました…アミ貸していただければ自分で捕まえますんで…。」
と言ったが、先生は、
「大丈夫、大丈夫、僕がやりますから…」
と言って、体重測定に使う透明のボウル(料理用)を手に、見事、捕まえてくださった。軍手がなきゃ文鳥も持てない人とは思えない器用さだった(恐るべし、獣医さん)。

しかし、やっぱりつかむのは怖いようだったので、
「今度はちゃんと持ってますから」と保定を引き受けた。

先生は丁寧に絆創膏を外して爪の状態を確認すると、「残念ですが…」と一言。
(死んじゃうみたいだ)

「爪、取ってしまいますから、あっち向いて見ないようにしてください」と先生はおっしゃったが、ヤッピーの大事な爪の最期はしっかりと見届けた。

にゃんこ先生は、切った貼ったの場合は飼い主に見せないで処置する方針であるが、この日は看護師さんがいなかった。人馴れせず臆病なヤッピーのこと、飼い主が保定できたのはラッキーだった。


これがヤッピーの華々しい病院デビューの顛末である。



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なくした右後ろの爪(2007年7月)
指も固まってしまって曲がりません





ウサギ用の爪切り

小鳥の爪も驚くほど切りやすい
(切りすぎに注意)。



反省すべき点は色々あるが、爪が伸びていたのも要因の一つ。今でこそ、爪切りにはさほど苦労しなくなったが、当時のヤッピーは握られるだけで体中の力が抜けて死んでしまいそうになる子だった。怖くて切れずにいたところに事故は起こってしまった。

自分で捕まえられない子を放鳥した事も、一瞬でも目を離してしまった事も…悔やんでも悔やみきれない。出たがるからと情に負けてしまったのが、結局はヤッピーに不自由な思いをさせてしまう結果になってしまった。


ヤッピーの右後ろの指は爪がなくなっただけでなく、指自体もまっすぐ伸びたまま固まってしまい、曲げることができなくなってしまった。細めの止まり木だと、右足は木をにぎるというよりは乗せているという感じになる。

爪がなくても日常生活には困らないというが、あるべきものがないというのは、やはりハンデであろうと思う。
実際、金網の上でよくこけているし、交尾もうまくできない。たまにヤッピーが背後からチェリーを襲っている事があるが、幸か不幸か背中に乗っても、す−っと滑り落ちてしまう。

ヤッピー本人は何とも思っていないようであるが、この足を見るたび、不憫でならないのである。



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あのとき、命には別状ないと分かったときには、ほっとすると同時に“バカもここに極まれり”というのが、正直な感想だった。バジルが健気に頑張っていたときだけに、ヤッピーの“困ったちゃん”ぶりはいっそう引き立った。

状況から推測するに、私が席を立った隙に家族の誰かが、おバカのヤッピーにヤキを入れてやろうと脅かしたのだろう。驚いたヤッピーは爪をどこかに引っ掛けたまま、急に飛び立とうとして折ってしまったのではないか。
(ヤッピーの定位置だった室内の階段には、いかにも文鳥が爪を挟みそうな隙間があったし、動物を驚かすことを趣味とする人が一人…)



だが、一度おバカを極めたヤッピーは、今では信じられないくらい賢くなった。通院や治療の意味もちゃんとわきまえている。爪切りの間も、おとなしく我慢してくれる。相変わらず臆病ではあるが、変われば変わるものである。

失敗を重ねながら、文鳥も飼い主も成長していくのだろうと思う。

しかし、“おバカさん”だと思っていたヤッピーがこれほどまでに利口で情の深い文鳥だと知ったとき、“バカはどっちだ?”と恥ずかしく思った。その文鳥本来の長所を引き出してあげるのも、飼い主の力量なのかなーと、ヤッピーを見てしみじみ思うのである。






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